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体を整える「気」のすべて-無になろうと思う努力自体が「何も考えずに」ということに反する [読書(ノウハウ)]



(略)どこかで座禅を習った人は知っているだろうが、座禅の理想は「無」になることである。
 しかし、無になろうと思うと、これは大変なことだ。頭の中に、いろいろと浮かんできてしまうのだから、やさしそうでもたいへん難しい。
 その点、静坐はやさしい。頭の中に何かが浮かべば、浮かんだままでいいからだ。
(略)静坐法といえば、人はすぐに座禅を連想したり、さらにちょっと知識があると「腹式呼吸をしなければいけないのだろう」と考えて、無理に努力をする。
 しかし、それも必要ない。そういう努力自体が「何も考えずに」ということに反するのだ。



無になる、というのは、ありえない気がします。
だって、頭はいつもなんらか活動してくれているから。

けれど、人は忘却の生き物とも言うように、別のことを考えると、まえに考えていたことは無になる。



三国志〈第5巻〉(宮城谷昌光)より

書物にとらわれないようにすることに、とらわれてしまったといいかえることができる。
したがって劉備の兵術は我流であり、法がないために、法を超えた法、というような兵術の極意に達しようがなかった。


「とらわれない」ということに「とらわれる」

このあたり、もしかすると、極意に達するのに、いや、何をするにも、乗り越えなければいけないポイントなのかもしれません。

いきなり日常の例ですが、中学生の頃、翌日早起きして修学旅行に行く前の晩、やや興奮して眠れずにいたことがありました。

寝なきゃ、寝なきゃと思っていると眠れない。
ますます目がさえてくる

すると、翌朝起きられなかったらたいへんだと思う母親が興奮して怒鳴りつけてきて、ますます眠れなくなって、翌日たいへんだった…

こんなこと、ありませんでしたか。

今思えば、眠れない!と考え込むより、早島正雄先生式に、
「修学旅行のこと考えているな。浮かんだままにしておこう…」
くらいに思っていれば、結果的に早く眠れたかもしれません。

ちょっと禅問答のようですが、曹操のように戦場に書物を持って行く謙虚さと必死さがあれば、少しは見えてくるのでしょうか。


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