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『タオのひけつ』日々のビジネスライフにタオイズム~道家動功術編 [実社会にて]


タオのひけつ―無為自然の心と身体が人生をひらく


の3つの気のトレーニングの一つ、道家動功術とは、健康増進のための武術です。
その稽古では、

二人の人間がお互いの気を感じ取りながら、手をとり、足をとって、技をかけることによって、それらを本来のよい形に調えていきます。
「灸所」に技をかけることによって、気のめぐりがよくなるのです。
この灸所は針灸のツボのことですが、それはまた武道・武術の急所のことでもあります。
これまで武術と無縁だった方でも、すぐに、無理なくはじめられます。
人には多少なりとも、必ず左右のアンバランスがあるのですが、ツボに技をかけて動きのクセを改善し、気を整え、人との間合いの取り方が上手になります。


というような考え方、やり方をします。

道家動功術では、一見、相手と対立しそうな構えをとります。しかし、相手と向かい合ったときに、相手に勝とうとか、相手を投げてやろうという、対立の気持ちはまったくありません。
それは、”自分に強くなる”修行であって、断じて、”他人に強くなる”ための修行ではないのです。
たとえば相手が突いてきたら、それをはずします。また、相手が足を出したら、こちらは足をひきます。あなたはけっして、手や足を出して争う必要はないのです。傍からはどんなに対立に見えるような場にあっても、けっしてそれを対立とはしないのです。
「柔よく剛を制す」といいます。『老子』第三十六章には「柔弱は剛強に勝つ」、また第七十八章には「柔の剛に勝つ」という言葉が見られます。
それはたしかにタオイズムの真理であり、武道の極意でもありますが、道家動功術はさらに、そうした勝ち負けの世界を乗り越えたものです。相手と稽古することで、相手と対立しない、自然に調和した生き方が身につくのです。
それは、勝者もいなければ敗者もいない、また強者も弱者もいない、究極の武道の姿であり、そしてまた無為自然のあり方でもあるのです。


正直なことを申し上げますが、わたしは劣等生なので、長いこと、力いっぱいえいやっと技をかけていましたし、相手の動きに合わせるより、自分の強い形(と思っていた)で受けていました。

それが…囲碁を始めてからでしょうか。

囲碁は、白石と黒石で競り合って、自分の領土や領土の境目をつくるゲームです。

場合によっては相手の石を殺して、碁盤から取り上げ、追い出します。

けれど、囲碁は上達してくると、

[ひらめき]相手が離してきたら、離して打つ~
簡単に石を取り合うような場面にしないんですね。

[ひらめき]相手がくっつけてきたら、くっつけて打つ~
接触してきたら、こちらも逃げずに勇気を持って打ちます。それでも、殺すのは最後の手段です。

接触した際の「定石」というのがあって、その目指すところは、
相手の打ち方が理にかなった自然な手なら、こちらも自然な手で打ち返して、
領土問題・国境問題を平和に解決します。

囲碁の基本では、簡単に殺し合わないだけではなく、簡単に痛めない、ざくざくにしないんですね。
つねに、その場その場で適度な間合いをとったり、適度な接触の仕方をして、

[1]見ての通り、自然な打ち方をしています[リゾート]

[2]それでも欲張って、もっと領土を望んで入ってくるのですか?[モバQ]

[3]しっかり力を蓄えて、簡単には死なないのが、自然な形の強さです。[手(グー)]

[4]そちらがもし無理をしたら、かえって損をするか、場合によっては死にますよ[パンチ]

と打つのです。

そして、


相手が盤の端の方で領土をほしがったら、[たらーっ(汗)]

それがささやかな大きさなら、ですが、[サーチ(調べる)]

無理をしてそれを殺しに戦うのではなく、[ふらふら]

譲って、[わーい(嬉しい顔)]

自然な形で中央の側に自分の領土の境目を築く。[左斜め下][右斜め上]

相手の領土は、盤の端に封鎖してそれ以上領土拡張を望めなくするのが正しい打ち方とされています。


ある日、これに気付いてから、道家動功術では間合いを気をつけて、そして、必要以上に強くやり過ぎないように稽古をしました。 すると、会社のコミュニケーションで、人との間合いの取り方がわかったようなのです。

昔からよく知っている理論派でプライドの高い後輩と仕事をしていました。[ビル]
ある日、彼の所属する課と私の課で利害が一致しないことがあり、間接的に彼が自分の立場をないがしろにされたと感じたようです。[ちっ(怒った顔)]

彼が私に反発してきました。すごい目で睨んできます。これは実は、10年前にもあったことなのです。[むかっ(怒り)]

10年前は、役割や立場を話して、「なにか文句あるか!」と押さえつけたので、その後彼がマネージャーにわたしをあまりよく言わなかったらしく、私とマネージャーの関係悪化にまで至ってしまいました。

今回、その間合いを稽古して、「のれんに腕押し」の感覚を身に着けていたので、彼が不満に思っていることを私なりに考え、それを尋ね、彼の心証を害したことを詫びました。[ふらふら]

1,2週間して、まだ彼がコワい目で睨んでいるので、「何を怒っているの?」と尋ねたら、「そんな風に聞かれて逆に困る」というのです。

しかし、ここでまた、間合いを考えて、[リゾート]

「それは違うだろう、目が怖い」[眼鏡]

と、昔の私ならきっと言っていたと思うのですが、今回は

「彼がそういうなら、そう受けとろう」[晴れ]

と、イライラもせずに、納得できました。振り返ってみると、彼が

「抜いた刀を鞘に納めるのを後押しした。」

ことになったと思います。

「なにを~先輩に」とかかって行ったら、プライドと頭脳抜群の彼は、まっこうから受けて立って、対立が深まっていたことでしょう。

この感覚は、まさに道家動功術の稽古で身に付けたものでした。

実はこの10年の間に、囲碁をはじめたので、間合いの重要性に気付いたのですが、やはり、できなかったことができるようになるのは、体で身につけたほうがずっと早いに違いない、と思いあたり、稽古の心構えを変えたわけでした。

そしてきっと、力の入れどころも、稽古で身に着けられたのかもしれません。

よく武道の極意として、「力を抜く」とか「脱力する」ということがいわれますが、これは全身の力を抜くという意味ではありません。
たとえば相手の胸元をつかむとしても、五指にギュッと力をこめて握ってしまうと、いざという時にサッと動けません。道家動功術は必ず軽くつかみます。その時には、小指の動きが非常に大切なのです。(中略)
なにごともギュッと握ると、実は弱いものです。軽く密着して持つことによって、どんなん状況にも対応でき、また自分自身にも強くなれます。
道家動功術では、そういう、すべてのことに当てはまる極意を、稽古の中で自然と身につけることができるのです。


最初に入会したときは武術ができるなんて、思ってもみなかったので、男として、またスポーツ音痴気味だった私には、とてもうれしかったのも、思いだしました。

ただし、稽古は男が多いかというと、時代の流れか、道家動功術の特徴か、女性に人気があるのです。[目][目]

ほんとはじめてよかった、道家動功術でした~

洗心術、それから、囲碁とタオイズムの関連については、また別の記事でアップします。
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